概要

萌えと感慨

スラングとしての萌え(もえ)とは、一部文化において、アニメ・漫画・ゲームソフト等様々な媒体における、対象(主として登場キャラクター)への好意・恋慕・傾倒・執着・興奮等のある種の感情を表す言葉である。「対象物に対する狭くて深い感情」という意味を含み、それよりは浅くて広い同種の感情を表す「好き」という言葉を使うのにふさわしくない場合に用いられる。最大公約数的には架空の人物、アイドル、無機物といった現実的には恋愛対象になりえない対象に対する、自覚的な「擬似恋愛」といった定義でくくることもできるが、必ずしも恋愛感情とは同一視されない。

「萌え」は本来は動詞の語幹であったが、スラングでは用法が拡張し、名詞としても普通に用いられるようになっている。また、感動詞としての用法もある。形容動詞の語幹として用いられることも珍しくない。「萌え」を動詞として使う場合、活用はア行下一段活用となり、元来の日本語に存在する「萌える」(「芽生える」の意)という動詞と同一となるが、芽生えるの意の「萌える」は自動詞であり、他動詞的用法で使用されることは皆無だと言える。動詞「萌える」の意味は、文脈によって微妙に変化する。以下の例文において、「A」を「私、私達、彼」などの人称(主体)、「B」をその対象(客体)とする場合、以下のような形で表現される。

フィクションのキャラクターに対する「萌え」には性的興奮のニュアンスが含まれることもある。「萌え」という単語が、「美少女やおっぱいがたくさん出てくる」という文脈で理解される場合もある。かつての「萌え」はキャラクターに対する純粋な好意を意味していたのが、次第にそうした意味合いを強くしていったとも言われる。一方で、「萌え」と純粋なエロティシズムの間には決定的な差異があると考えられている。軽い性的要素を含んだものは「萌え」として歓迎されるが、性的な要素が濃厚すぎるものは「萌え」の範疇から外れる。またライトノベル作家の谷川流は自著における登場人物の台詞として、対象に性的興奮を覚えて自慰行為に耽った直後に、まだ対象への愛情が持続するか否かで「萌え」と「エロ」は区別できると発言させている。

「萌え」の概念については様々な解釈があり、評論家によるおたく論の中でも議論が交わされている。精神科医の斎藤環は、おたくが用いる「萌え」という言葉を、「芸風」として戯画的に対象化されたセクシャリティであると位置づけた。斎藤は、おたくの創作物が倒錯した性のイメージで満たされながらも、おたくの間では現実の性倒錯者が少数であると指摘し、おたくのセクシャリティを、虚構のリアリティを支える、虚構それ自体が欲望の対象となり現実を必要としないものであるとしてその背景を論じた。

萌えとインターネット

インターネットが普及する前の萌え事情は、どちらかと言うとかなりのアンダーグラウンドであった。余程の愛好者でない限り、萌えや同人誌などの書籍のイベントを目にすることもなかった。ただし、限らた空間や狭いコミュニティのため今以上のディープな世界観が合ったことも否定出来ない。インターネットの発展によりこれらの萌え文化もかなり一般に目にされるようになり、また認知されるようになってきた。しかし、それは大衆迎合化したコンテンツに近づいていると言っても過言ではない。どのようなコンテンツであろうとも、拡散時期を経ることによってその内容や趣は形を変えていくものである。


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